The relationship between A and B in the context of C的なのとか
好きだよねえ。みんな大好き。
Aには(得てして海外で)有名な(そして得てして尺度の翻訳版が確立していない)構成概念
Bには(得てして海外で)有名な(そして得てして尺度の翻訳版が確立していない)別の構成概念
Cには自分の興味のある国,校種など
でもこれって結構きつい前提を置いている。
AとBを測る,得てして海外で尺度構成され,尺度の翻訳版が確立していないだけでなく(そもそも翻訳版がある得るかというのも大まじめに考えたら結構難しいもんだ),いろいろな集団間の測定不変性(measurement invariance)が未だ明らかになっていない尺度に,勝手に(得てして手を入れて)推定した潜在変数間を測定不変だと暗にみなして,因果関係(というか標準化係数の値のみ)を知りたい,そしてその関係のみが自分が興味のある<集団に固有>であるという。そういうの,すっごいかっこいい。
パス図で描くとこんな感じ。こういう期待。
それで,
とか(wwww),
って話になっていく展開。
これと同じくらいいいのは,あれだ。「特定の観測変数の思い入れ」だ。
悪くはないだろうけど,議論の仕方がたまにぶっきらぼうだ。動機づけを測る質問紙で特定の行動を予測するとかそんなときね。別に測定というのは因果推論に基づくもので,「潜在変数Aが実在し,それが観測変数の因果となっている」(e.g., Borsboom, et al., 2004)という態度で「全部因果」でいいじゃない。
たまにこんな感じの発展形もある。
心理学の伝統的には,観測変数に対する因果が形成モデルによって表されているときもあったらしい。なんとか主義ね。何主義だっけ?
たとえば,SES(社会経済的地位)はあくまでも実在しなくて,車の値段が高い,家賃が高い,本をいっぱい持っているといった観測より形成された(我々が作った)もので,それが合コンでのモテ具合(1観測変数でいいのか…?)の因果になっている,とかね。
話し変わってきちゃった。まあいいか。