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草薙の研究ログ

英語教育関係。でも最近は統計(特にR)ネタが中心。

野良観測変数?

教育 統計 雑感

なんていうんだろ,それが何を測るかは一切分かっていないけど,その変数の利活用を暗に強いられているような変数。

オンライン学習履歴データとかがまさにそうだ。オンライン教材のログイン時間とか。これは何か測定を目指す構成概念がこのデータに先んじて導出されているわけではない。従事率?学習者の能力?真面目さ?それを考える前に記録するよう実装されているし,なんていうか「何かに使うために実装しておけ,単純に考えて有益そうだが,それが何のためかは俺シラネ」感に満ちている。

そういう測定する構成概念とか,むしろその測定モデルに関する研究者の合意(ある意味妥当性の検証)がないまま,この観測変数を使うっきゃない,みたいな感じになっている。

およそデータマイニングといわれるような手法やそれを利活用する分野は大体そうだ。ある店に客が頻繁に来る確率を顧客ロイヤリティといったりするのは知っているけど,これは,顧客ロイヤリティという潜在変数を測定するために人工的に開発された変数ではない。店に来たり,高い買い物をしたりすることが先にある。

別にこれが悪いとか,そういう変数はダメだ,という話では全くなくて。データサイエンスってのはそういうものだし。

でも,こういう何を測るかわからない変数と,構成概念が先んじて理論的な見地より導出されて,測定モデルがしっかりあって人工的に作成された変数(優れたテストや質問紙や,広く受け入れられた実験手法の結果変数)は違うね,ってだけ。

いうならば,こういうのは野良観測変数。

 

それで,外国語教育研究も他の分野に漏れずに,その野良観測変数が最近一気に増えた。

…私はただ,野良猫を人々がさも自分のペットであるかのように勝手に好きな名前をつけて呼び合う,というありふれたことにならないかということが心配だ。 

そして,ある人が「タマ」と呼ぶ猫を,別の人がそれを見て「え,これはミーちゃん」ってなって,そして「どちらかといえばタマじゃね?」「ミーちゃんだし」とか,そんなわけわからん話になって結局その猫はみんなのペットでもなく結局は野良猫のまんまで結局猫可愛がりということばのように愛情なるものも結構無責任だなってなってなんていうか猫は救われてなきゃだめなんだ。自由で,主体性を体現しているかのように。そして,バラの名前は,なんでも同じ香りがするって話もあるけどな。