草薙の研究ログ

英語教育関係。でも最近は統計(特にR)ネタが中心。

還元主義者が陥ること2題

還元主義一般の話

自分は強烈な還元主義者だと思うのだけど,還元主義の限界は日頃から意識しているつもり。むしろ,意味のなかった還元などについては,一段階前に戻そうと思う時も最近は多くなった。

還元(reduction)とは,たとえば「Aとは結局のところCとDのことである」みたいに,物事の事象をその構成素に分け,それらの連関を記述することによってAに説明を与える(与えたとみなす)こと。

外国語教育では,

  • 文法知識は語用論,統語論,意味論,形態論,音韻論的情報で構成される
  • 語彙知識には深さと広さがある
  • 不安には促進不安と抑制不安がある
  • 授業中の沈黙にはいい沈黙と悪い沈黙がある

みたいな感じ。

量的研究は基本的に還元の方針でどんどん進んでいく。イメージとしてはある概念が5年間もすれば新しいその下位概念で捉えられるようになり,その5年後にはそれぞれその下位概念に還元してしまう。するとひとつの概念が10年で25個の概念の仕組みとなる,みたいな。

外国語教育などよりも古くて,そしてある意味進んだ分野は,どんどん還元したあげく,結局のところ,「ダーウィニズム(進化~)」,「化学物質」,「記号」,「数式」,「量子」,そして人文社会学系ではまあまあ還元したレベルである「脳」にいきつく。

幸いなことに,2016年現在,「進化英語教育学」とか「量子第二言語習得」とかそれほどの還元はされていない。でも「第二言語習得の脳科学的アプローチ」というようなのは聞くようになった。

問題は,還元はいいのだけど,どんどん還元したら概念が指数関数的に多くなってしまい,収拾つかなくなってしまうことだ。そうなると,同じ学会にいっても「用語がわからない」「理論的についていけない」という状況が発生しちゃう。これに近い状況は今もありそうだ。外国語教育研究は歴史が浅い若い学問なので,還元すればするほど精緻化されてよかったのだけど,いつかは学問としての容量の限界に達してしまうかもしれない。

 

教育実践での問題の絞り込みの話

さて,話は変わるけど,還元できないもの,還元すべきでないものって結構あると思う。ある学会で,(もう私よりお若い感じの)先生が業務内容に関する問題点をいくつかまとめてお話になった。いわく,(業務上基準とするような単位空間に比べて),学生の語彙サイズが少ない,発話量が少ない,コミュニケーション意欲が少ない,といったこと。全体の話の流れとしては,そういった状況を変えるために,問題を言語化し,下位区分を作り,絞るのだと(それが重要だという論調)。

問題を絞るということは,一種の還元なのだと思う。

 

現在の問題 = 語彙サイズ不足 + 発話量不足 + コミュニケーション意欲不足

 

といった感じ。うん。

でも果たして,これを解決するためには,まずは語彙サイズ不足だけ解決するように取り掛かろう,とするのは「いつも賢い選択」なんだろうか。

私にとって,これは3つの変数の共分散構造(または共変関係)がどうなっているかという問題に帰結するように思える。

もし,問題の原因がひとつであり,それがそれぞれの観測の因果になっているとしたら(潜在変数として熟達度というようなのがあるとして),問題を切り分けて,例えば語彙サイズのみをことさら上げるような指導を行うことはあまり意味が薄いように思える。

 

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これは,動機づけの因子モデルで示される一質問項目の反応の値をあげようとするのと同じだ。動機をあげようとするとき,英語を話したいという反応を上げても,基本的には動機全体が変わったとはいえない。

 

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逆にこういうときなら,別々に「問題を切り分ける」のがいいかもしれない。

 

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または,矢印が逆,たとえば観測が先にあって,私達の認識的な(形成モデルであるところの)問題があるという世界観なら,こうなる。

 

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しかし,このときであっても,語彙サイズだけを切り取ってその値に変動をもたらしても,根本的な問題の解決にはならない(ひとつの係数など影響がたかがしれている)。

結局は,どのような因果関係を背景に考えているかといういわゆる実質科学的な議論になるけど,少なくてもデータ的には次のようなことがいえそう。

3つの変数の相関関係(共分散)が十分に強ければ,一因子モデル(共通のなにかがある)が正しい「可能性が相対的に高い」。または形成モデルが正しいかもしれない。

逆に弱ければ,別々の原因をもつモデルが正しい可能性が相対的に高い。

 

なのでいつもいつも,言語化し,絞り込みしていくのが正しいとは限らないかもしれない。もちろん,何かを言語化し整理し,絞り込む姿勢は十分に素晴らしいし,有効であると思うのだけれども,その背景となる考え方(世界の認識),具体的な(観測レベルでの)問題の関係も考えることが重要だと思う。

臨床知などということばがあるけど,私は件の先生の話(教育業務上の問題を列挙)を聞いたとき,臨床的には,むしろ先生の認識的には,それらの諸問題がすでに同じ問題の因果として捉えられてたのではないかと思った。そしてそれが研究者やデータの分析者が思いもよらない重要なことかもしれないと。あと,実際にその先生が挙げられた話を変数化すると,私は実際に十分に共分散が強い構造にあると思った。語彙サイズが少なければ発話量は少なくなるだろうし,発話量が少なければコミュニケーション意欲が「低いという観測に繋がる」だろうし。なので,これらに影響をおよぼす潜在的な何かをまず考えて,それを変化させようとするほうがいいのではと。研究は還元主義で進むのだけど,まずは研究者だったらそういう認識をすることを研究対象としてもいいかも。

 

…などなどと大変勉強になった学会だった。私が見たいろんなセッションで同じような話題になっていたと思う。

 そして,結局は自分もこの話の複雑なことを統計に還元しただけだ,ってことは十分にいいオチになるかなと思っている。