実践研究の報告におけるPICOについて
夏の学会でたくさんの発表を見て,あることについて思った。わたしは実践研究や授業実践に関わるものを優先してみたのだけど,簡単にいえば,PICOとかのこと。
PICOっていうのは,EBM(Evidence-Based Medicine)とかに関連していわれる研究の事例報告のガイドラインみたいなもの。医学,薬学,疫学などではPICOの報告を漏らさないようにしよう!みたいにいうらしい。PICO(音がカワイっ)は,
- P: Participants(被験者)
- I: Intervention(干渉)これはEになったりもする(Exposure)
- C: Comparison(比較)
- O: Outcome(結果)
なので,
- 誰に
- どうしたら
- 何と比べて
- どうなったか
っていうことを徹底しましょうということ。
- おしりにできものがある成人男性に
- 3日間ロキソニンを投与し続けたら
- おなじおしりにできものがある成人男性に何もしないより
- できものの腫れが引くのが3倍はやかった
とかそういうこと。もちろん,「おしりのできものがある成人男性」よりも「下方臀部に3cm大のアテロームをもつ20代デスクワークの喫煙者30人」とか情報が細かくて多いほうがいいってわけ。
まあ,よくある「当たり前体操なのに説教臭いコンボ」なのだけどとても大事なことだ。
もちろん,教育研究でも似たようなことがいえる。
教育研究では,量的な実践研究のガイドラインというのがしっかりしたものがなくて(わたしの現在の研究テーマのひとつでもある),ちょっと色々あるって感じ。
教育研究では,これにターゲット変数が加わるといいかもしれにゃい。伸びましたとかいっても何が伸びたか,ってこと。これはもちろん潜在変数であっても観測変数であってもいい。これは我々の構成概念とその妥当性に関する知識や,構成概念のネットワークに関する知識がものをいう。
多読の結果が,読解不安に影響をおよぼすのか,語彙アクセスのスピードに影響をおよぼすのかは全然違う話し。
教育研究では,これに「誰が」っていうのも加わるかもしれない。教師の特性っていうのは,処遇がカテゴリーとして成り立つレベル以上にばらつきをもっている(かもしれない)。
だから,
- 誰が(教師自身についてよく記述する)
- 誰に(指導案で書くような生徒観みたいなのをよく記述する)
- どうしたら(指導案で書くように処遇のあり方を細かく記述する)
- 何が(構成概念や測定について書く)
- 誰とくらべて(もしあるのならくわしく書く)
- どうなった
というような情報があったらいいかな。というかわたしはこれが知りたい。
実際に発表をきくと,こういうことの報告を徹底とするよりは,処遇を選んだ理由や勉強なさった理論的背景に関する部分を丁寧に教えてくださる先生方がものすごく多くて,それが必要ないっていうわけではないのだけど(勉強になるし),ちょっとそっちよりは上のようなPICO+αの方が知りたいなあ,っておもう(個人的に)。
わたしが理論的な方面に弱いだけかな…わっすごい!実践研究なのに,帰着先が理論的発見になっている!みたいなの多い。それはそれでものすごく大切のだろうけど…実践研究なのに,結局どうやって授業したかがわからない場合が結構多い。
自分が実践研究をするときは,こうしたいなあっていう話。量的だとか質的だとか,それ以前のことだろうと思う。