草薙の研究ログ

英語の先生をやってます。

「私は本質病が怖かった…」:研究テーマの決め方(2)

本質病って?

前回の記事で,私は私のアイデンティティをそこに見出せるような研究テーマを持たなかった,という個人的な話を変な喩え話を使って書いた。「俺は殺し屋になりたいのであって,敵討ちしたいわけではなかった」っと院生のときに考えたっていう。まあ,平たく言ってこれはその話の続きなんだ。
 私が研究テーマを持たなかったのは,研究テーマをドヤ顔でいう世界が恥ずかしかったことに加えて,ある病気が怖かったからでもあるんだ。ここではその病を本質病と呼ぶことにしよう。本質病ってのは,私の命名でなくて,物理学の武谷三男先生の著書で述べられてるらしい。
 なんか本質病っていえば大げさなんだけど,要は,実際に検証可能なレベルまで研究テーマを絞ることが研究技術としてできなくて,もっぱら解決不可能で,しばしば壮大な思弁に終始するような状態だ。「そもそも本質的には…」みたいな話。「そもそも」って表現がポイントかな。もちろん,分野を限らず,大学院生にも多い。卒論指導の初期段階でもよく見られるし,引退なさった大先生も人によってこうなってらっしゃる場合がある。研究として成立しないような壮大なテーマをいつも語るひと,そんな感じ。

本質病でいいじゃないの

 もちろん,こういう状態も視野を広げたりするのに役立つし,思索を続けるのはなによりも大事だ。研究という営為を日常的にするなら,誰もが経験あることだろうし,私もよくこうなる。いまもそうじゃないかって疑うくらい。いつも,自分は本質病じゃないかって神経質にもなる。
 本質病が悪いかっていったら,別に悪いことだともいいきれない。なにより,知的な原動力を示すからいいじゃないの。パースの「探求の道を塞ぐな」だよね。これは自分の原点だともいえることば。
 素晴らしい。本質病,そういう意味でかっこいいじゃん。「どうでもいいわ」よりは「そもそも本質とは…」ってやっぱかっこいいじゃない。
 それにかなり冷めた目,特に機能文脈的に見ても,本質病を揶揄してもしょうがないし,そういう風土は研究を抑制させる機能を内在させる。本質病の話もちゃんと聞くのが研究コミュニティのマナーだと思う。研究者だったら,そういう話は,常に真剣に耳を傾けるべきだと思うんだ。

それでもやっぱ怖かった…

 しかし,私は自分のやたらと限られた例からだけど,個人的にこう思ったんだよね。2011年のことだったかね。この本質病ってのは,単純に研究が行き詰まった状態のことを示してるんじゃないかって。
 もっといえば,実行可能な研究テーマやその研究の手順がまったく計画できないとき,まさにその状態のことをそういっているのじゃないって。そういうとき,身の丈に合わないような,そもそも不可能なテーマとかを考えちゃう。統計的にいって。現実がそうであるという観測を伴って。
 「本質とは何か」といっちゃうような顕著な志向性が本質ではなくて,研究が進まない状態それ自身が本質病の本質だって。なんとなく,そう思ったんだ。そんな自信無いけどね。
 なんていうか,私は,まさに研究の手順すらまったく計画できない状態,というのがひたすら怖かったんだ。ほんとう,それはもう怖くてたまらなかった。いつも,血の流れが止まっていずれ破裂するようなイメージを持っていた。なんていうか,死に方のひとつなんだ。サラサラ血液みたいに,流れがよくなれば血液はサラサラ,それはもうサラサラなんだけど,なんかその流れが塞がって破裂して結果として死んじゃう,みたいな。そんなイメージがいつもいつも湧いて,私を苦しめた。卒中で死ぬ,そういう悪夢にいつもうなされた。
 自分のことだけじゃなくて,どうやら研究上でそうなってる人を,それこそ本当にたくさん見てきたんだ。その栓みたいなのが取れて流れ出すのが,閃きとか光とかいって,カタルシス感じれて研究は素晴らしいとかいうけど,なんていうかやっぱ怖かったんだ。学位がかかっていれば,期間内にその研究が終わらないといけない。そういう制約は常にある。
 当たり前だけど,若いうちには業績もないと飯も食えない。業績がないと研究ができない。それに一番怖かったのは,本質病の人たちがいずれコミュニティからいなくなること,だった。破裂すると「俺,研究向いてないわ…」って言い出す。一緒に青春を過ごしたひとがいなくなるのはつらいよね。来週からゼミこない,みたいな。どうやらそういう話すら禁じられているようだった。

本質病から抜け出すには

 なんだかんだいっても,結局,研究テーマの決め方,あとは研究手順の計画の技量を高めるしかないのよね。そのためには,まずは研究の手順に慣れること。些細なことから順番に。次に,些細な研究テーマをできるだけ多く立てること。
 これはスケッチと一緒。こう考えると,まずはとにかく実験手順とかに親しんで,ひたすら研究テーマみたいなのを書いてみたらいい。そうしたら,下手な鉄砲数撃ちゃ当たる的な感じでそれらしい研究テーマも見つかる。
 だから,くだらなくてもいい,学術的な貢献や意義は置いといてもいい,とにかく自分にできることを考えて,手当たり次第に研究したらいいじゃないかと思ったんだ。だから自分もまったく意味のないような研究をたくさんした。今だとなんの貢献も意味もないことがわかる。これは自分の職業的適正を高めるためだけのもので,今なら何の意義も意味もないことがわかる(大事なことなので二回ね)。
 正直,自分の研究なんて,全部,たまたまなんだよね。別になんの興味もないし,社会的に大事だともまったく思っていない。もっと社会的に大事なことは知っているつもり。これらが私の業績だと認められることも拒みたいくらい。
 私の観点はそうじゃなかった。まさにwant to doよりもcan doよ。そうやってたら,can doが増えてさ,いつかcan doリストに来たるべきwant to doが入るんじゃないかって。そんな感じでたくさんやったらどうかって。まずは自分が何が知りたいかとかさ,そんなドラマチックで個人的なストーリーは置いていて。そういう技術の習得の過程だと思ってさ。いつか好きにできるようになることを信じて,まずはその研究テーマとかいうのは置いておいて,修行しようって話。私は,院生の限られたときの業績よりも,それ以降の業績の意義が遥かに大きいってポジティブに信じることにしたんだ。実際そうなるかってわからないけどね。

最小単位でパラミタを変える

 うまい研究の立て方っていえば,そんなのはすぐに出てくるわけないけど,具体的なレベルでの研究テーマの実行可能性の判断は,結構体系的なものだと思う。一番簡単なのは,実験におけるパラミタのごく一部,そのパラミタの変動が依然として未知なものに変えることだ。サンプルとか,実験条件とか,実験方法とか,そういったごく一部のパラミタだけを変えて,既存の論文の実験手続きを真似る。これは結構大事なことだと思う。サンプルが日本人学習者でなければ,それを日本人学習者にすっかり変えた実験をしてみるとか,同じ仮説を検証するために,違う方法を使ってみる,そういうテクニックだ。もちろん,だから新しい方法を試すってのも大事。なんていうか,偏微分な,ね。これが研究テーマの探り方で一番重要なことだと思うんだ。

細かいところではより小さく,よくわからないところではより大きく実験条件を設定する

 十分に知られている現象に当たるときは,実験条件の細かな値域みたいなのの幅を細かく設定することで新規性が得られる。十分に知られていないときは,実験条件の値域を大きく設定したほうがうまくいきやすい。

同一理論の説明範囲を広げる

 ある現象を説明する理論を,別の現象の説明に使う。これは一般的な科学的な推論における重要な方向性だと思う。結局,類推(アナロジーは研究者が思うよりも重大な役割を演じる。だから,マイナーな現象をよく知られた理論で説明しようとする試みは結構いい研究テーマになる。

説明できない現象の存在を認めた上で理論を守る

 これ自体は必ずしもよくないけど,理論っていうのは思ったよりも,というか研究者じゃない人が思うよりも,実態ははるかに脆弱なもので,特に英語教育なんていつもそうだから。仮説の修正やアドホックな補助仮説の添加が重要な研究上の機能だったりもする。こういった仮説の修正やアドホックな補助仮説の添加は,十分にいい研究テーマになる。

適当で曖昧な言い方を形式化する

 これはあまり現在の英語教育研究で使用されているわけでないけど,科学的な知見の最初期において,必ずしもその知見が形式的で無矛盾な記述によって表されているとは限らない。このような知見を整理して形式的に言い換えることは十分な研究テーマになりうる。現在,私はこういう研究のあり方に取り組んでいる。

最後に

 研究テーマの設定方法はあまりにも複雑で,枚挙的に種類を出していくにはあまりにも多すぎるけど,結局,こういう技術的なレパートリーの話なんじゃないかって思っている。ここで唐突に上げたのはそういう技術の代表例。
 繰り返すけど,本質とは何かみたいな志向性についてあれこれ考えるのではなくて,研究の実現力を欠いた状態の解決方法について我々は真剣になるべきで,研究テーマの決め方や研究手続きの計画の技能が上がれば,こういった状況には陥らないのかな,って思っているんだ。
 逆にいうと,研究が進まくなるようなカリキュラムや,制度,そういったものは常に本質病を催す環境になっているっていうこと。やり方も教えずに,できない人を個人的に批判するな,そういう観点も大事だと思う。実行可能かもわからないから,実行不可能なことを考えるんだもんね。
 英語教育研究は応用分野だけど,こういった研究テーマの決め方についても十分に意見交換したいもんだよね。