草薙の研究ログ

英語の先生をやってます。

時代の流れに取り残されていくかんじ

今私がこれを打っているPCは,中古どころかジャンク品として買った2000円のデスクトップPCだ。RAMは1GB,CPUはCore 2 Duo,HDDは欠品だった。今型番を調べたら2004年製だという。前にどこで誰がどのように使っていたかもわからないこのPC。誰も買わないのだろうな,と思うと意味もなくこういうのを買ってしまう。14年前か。自分は大学生だったな,なんておじさんは昔に思いを馳せる。このPCを見るときに,14年前のPC産業というか日本の経済を思い出せる。

最近は本当になんでも安くなってきていて,メモリーは1,000円台も払えばバルク品でも問題なく増設できるし,SSDだって中国系企業の新製品はびっくりするくらいの値段と品質。なんていうか市場の大きさは正義だ。AmazonよりもAliExpressのほうが物欲をそそるのも事実。

ストレージなんてむしろ16GBで十分だなんて思ってたら,そういうSSDは市場に出回っていない。しかたなく64GB SSDを2,000円台で買った。Wifiドングルは1,000円台。全部で8,000円もあれば,私に必要な環境なんて整ってしまう。4GBのRAM,64GBのストレージ,Core 2 Duo程度のCPU。これは,今ARM系のCPUを積んでeMMCをストレージにしている低価格モバイルノートと同じくらいの性能になる。そういうのがだいたい3-4万だから,とっても格安だ。なによりも部品を集めたり入れ替えたりするのが楽しい。

そういう非力でもう現役を引退している,いわゆるジャンクPCに軽量デスクトップ環境をいれるのが馬鹿みたいに好きだ。もう「押し寄せるパターナリズム」のようなアップデートの通知におじさんはため息をつきたくない。

アップデートといえば,10月のUbuntu系のアップデート。私はLubuntu愛好者なのでLubuntuのアップデートをチェックしたら,なんと噂通りLubuntuはLXDE環境を捨てるのだそう。LXQtに全面的に移行する方針のようだ。

これにはまいった。というか,別にLXQtがLXDEよりも遥かに重いとかそういうことではなくて,LXDEを愛した時代はもう終わっていくんだな,という感傷。デスクトップ環境が変わる,というのはいつでもつらい。自分はそういうのにもう適応していけそうにない。かつてUbuntuのデフォルトデスクトップ環境であったGNOMEがUnityに変わったとき,なら俺はもうUnityを触らない,と決めてLXDEにした。UbuntuのUnityはいつのまにかGNOMEに戻ってたけど,もう俺が知っていたGNOMEではないようだった。

なんていうか,こういう移り変わりの激しいものにその場その場でいいようにうまく適応していくような器量は自分にはない。Lubuntuの18.04はLTSで2021年までサポートだから,俺はそれまで18.04を使おうかと思う。なんならサポート切れてもLXDEでいきたい。

なんでもそうだ。時代が変わっていくのに,自分はそれに適応していけない。いつまでもここで足踏みをするだけなんだな,なんて。それでも,それでも,14年前のPCはこうして動いているのを見る。

狭いベゼルなんてすごく気持ち悪い。曲面ディスプレイはもっと気持ち悪い。目の前にデスクトップPCがあり,ネットに繋がっているのにスマートフォンを触るひとが気持ち悪い。フリップ入力とかいう技術が気持ち悪い。

そうやって,自分のほうが気持ち悪いおっさんになっていくんだな。

…などと思ったLubuntu 18.10だった。