草薙の研究ログ

英語の先生をやってます。

ニーズ,現実認識,そしてポリシーとそれらの間の

ご尊名をお書きしてもよいものかと悩んでいたけども,結局伏せさせていただくことにする。

K先生とおっしゃる先生がいらして,近くの大学にお勤めなのだけど,指導を頂いた師匠筋というわけではなく,あくまでも私淑するに留まる関係性。でも幸いにも,先生とは何度か宴席でご一緒する機会に恵まれた。

先生は私のように立石に水状態でしゃべるようなタイプではなくて,ゆっくりと,丁寧に重みのある話し方をなさる。先生の半生などを聞くと,その生き方に涙が出てしまう,そんな素敵な女性だ。(でもこれは私が涙もろいことにも原因がある)

 

今年退官なさるとのこと。ある研究会でご講演をいただけるときいて参加した。

先生のお話は,外国語教育におけるニーズ分析とその取り入れ方の実践について。先生のご勤務先の事情を踏まえた上で,先生がこれまでなさってきたお仕事のまとめといった体裁だ。

外国語のニーズというのは,簡単にいうと大学卒業後の将来における職務的要求や,専門的職業人としての要求のこと。卒業生を追跡調査したりして,カリキュラム改善などに応用する。ニーズの取り入れにはもちろん,さまざまなレベルがあって,四技能のどれが重要かといった大きな観点もあれば,専門領域でよく使う表現や語彙といった具体的なレベルも含まれる。

先生は,そういったニーズ分析とESP(特定目的のための英語教育)を丁寧に踏まえたうえで,コーパスの言語処理技術や最新のテスト理論をバリバリ応用して,ガンガン実装して,それをドンドン実践してしまう,そんなストレートでパワフルな研究者であり,そしてなによりも素晴らしい教育者でいらっしゃる。先生に比べると私なんて,結局は瑣末な技術屋で机上の理論屋に過ぎないのだな,といつも思ってしまう。

先生のお話のなかで,ものすごく感動したことがあった。先生はニーズに加え,学生が自身の英語能力をどう捉えているか,といったことも調査なさったという。結果は,「ニーズと現実認識にもズレがある」といった落ちどころのデータだった。なるほどな,と。

…先生は明確にそうとはひとこともおっしゃらなかった。でも,そのおはなしのとき,私には何かがはっきりと見えた。莫大な情報量が一気に私に飛び込んだ。

先生は,ニーズ,現状認識,そして先生がここではおっしゃらなかった学科,学部,大学,そしてもしかしたら国策レベルでのポリシーや,先生自身の教師ビリーフ,人生観,それらのズレの中でずっと戦ってらっしゃるんだな,と。そのイメージ。

学生にとって,「なりたい自分」「学びたかった自分」そして「世や大学がもとめる自分」,または教師が学生に「なってほしい自分」,それらの像は単一ではない。でも,そこで先生はひとりひとりの学生の,それらの「自分」を見て,教師として,そしてひとりの人間として,きっとお悩みになりながら学生と関わって,その上であのような徹頭徹尾パワフルな活動をなさっていたんだな。それが語学教師の仕事なんだな。

教員として,それらの間で揺れながら,それでも力強く動く,その原点は,きっと先生のお人柄に違いない。量的研究者の身としては恥ずかしいことだけど,結局はお人柄や人格,人間性といった,そんな奥の手の分散で説明するしかないような,そんななにかで支えられているもんなんだと思った。その人間性こそが,私の心を打つんだな,と。

 

 

ご講演が終わったあと,先生には花束が渡された。

研究会の終わり,懇親会会場へ歩きながら,私は先生と少しお話させていただいた。

「先生,大変勉強になりました」と私が声をかけると,

お笑いになられながら,「草薙くんみたいな子がなにをいうの」と。

「とんでもないです」私は失礼な若手なので,上で書いたようなことを直接先生にぶつけると,先生は,真面目な顔をなされて

「…いろいろあるのよ」と。

そのときの先生のお顔の力強さといったら。

 

…尊敬する目上に対して思うことはいつもひとつだ。

あなたがそう生きるのなら,私はこう生きます。

…私程度の浅学駄弁の徒が,先生と比べてもしょうがないのだけど,でも自分には30年残されているのが幸いだ。幸いといえば,先生の講演の最中,誰にも私の涙を見られなくて済んだこともそうだ。

 

先生とは,退官といってもなにも変わらずこれまで通りにお会いする機会には恵まれると思う。少しでも,先生に自分の成長を見てもらいたいと思う。人間として,そして教師として,少しでもマシな自分を見てもらいたい。