草薙の研究ログ

英語の先生をやってます。

ちょっと嫌な論文の表現

自分でもたいそう長いことそういうふうに書いてたのだけど、例えば「ある実験的操作が反応時間に影響を及ぼすか」みたいな研究課題は、論文として許されるのだろうけど途方もないくらい馬鹿らしい。

そんなことはある筈がない。

いや、あるといえばあるかもだけど、実験的操作が反応時間に「直接」の因果なり効果をもつことはないだろう。それに知りたいことはそうじゃないだろう。

芋を食えばおならがでる。とりあえず必ず出ると仮定しよう。ここで哲学でありがちな密室思考実験的な妄想をしよう。ある部屋に腹ペコな人を閉じ込めて、芋かパンかをその人に与える。私は部屋は見えなくておならの音だけが聞こえるとする。おならが聞こえたら芋を食べたと知ることができる。

この時、部屋に芋を投げ入れることは、おならの音が聞こえるということの「直接的」な原因ではないし、芋を投げたらおならの音を出すマシンではない。部屋の外でもおならは鳴るし、人がいなければ芋を投げてもおならは聞こえない。人がいなければ人がいてパンを与えた状態と結局は同じになる。

ある実験的操作をすると認知的プロセスになんらかの影響があると予想する。実験的操作は認知プロセスに影響するとして、反応時間に影響を及ぼすのは認知プロセスの違いである。認知プロセス自体は見えない密室の出来事なので反応時間から予測するしかない。反応時間と認知プロセスに強い関連があるとしても、実験的操作が直接的に反応時間に影響を及ぼすわけではない。

簡単にいえば、観測変数と潜在変数の関係についての因果推論を大事にしましょうという話。それに観測変数それ自体に推論の対象か考えましょうという話だ。

実験的研究では実際上カテゴリカルな観測変数から
観測変数に回帰しているとしても、因果推論としてそれはあまり正しくない。もちろん、実務的には許されるのだろうけど。

例えばアンケートの性別だって厳密にいえば性別それ自体ではないし、性別は潜在クラスかもしれない。男性という潜在クラスが「アンケートで性別を書く」という変数の上で非常に高い母数をもつということに過ぎない。この時、アンケート上で性別を男と答えることが体重や身長に直接的な因果をもつわけではないだろう。性別だって潜在的だし、ボーズブームがいうように「すべての変数は証明されるまで潜在変数」だ。

随伴現象とかエピフェノってやつね。研究仮説を操作化されたレベルで明確にそして論理式や情報仮説として形式的に書くのは今は亡き論理実証主義的にも、反証主義的にも、そして科学的実在論の人にとってもいいことなのだけど、明らかなエピフェノに過ぎないことを真面目に書くってのもどうなのかな。教育研究ではなにがエピフェノなのかわかりにくいし、反映モデルではなく形成モデルによるモデルが多いのだけど、もうちょい考えましょうとか。

つくづく物差しとかでリアルに測れる分野を専門にするんだったなってやつ。