草薙の研究ログ

英語の先生をやってます。

新世代翻訳技術を援用した豊かな人間性を育む英語教育実践

google翻訳すごい。

おそらく10年もしないうちにこういう授業実践が見られるようになるかも。

 

10年後,新しい能力,より汎用的な能力,就業力,コミュニケーション能力,批判的思考力といった概念が,教育上の成果や目的変数として今以上に重要とされるようになっていて,そしてgoogle翻訳といった無料翻訳サービスの精度は今よりもずっと上がっている。学力観の拡張,そして情報化社会といったいつもの流れだ。

そのときには,もはや,たとえば「英字新聞を読む」ために必要な英語の語彙知識や文法知識,構文の知識,新聞の文体の知識よりも,相対的に,英字新聞にアクセスする力,アクセスしようとする態度,そして英字新聞の内容に関する批判的な見方,避けては通れない各新聞社のポリティカルポジションを読む力,そしてその背景,そういったことに関する能力が重要とされているはず。あくまでも,今より相対的にという程度で。

そして多言語翻訳に関する技術の進歩は,個別言語として英語にこだわる理由も薄れさせる。つまり,もはや,英字新聞である意味は今よりは薄い。あくまでも,相対的に。

 

そしたら,きっとこんな授業実践が行われるはずだ。

 

教師は,ある国際的な社会問題のインターネット記事を生徒に見せて,生徒はそれをまず翻訳を使うなりして読む。で,教師は,その国際的な社会問題において利害関係のある別の国の,同じ社会問題に関するその国の言語で書かれた記事も見せる(これも多言語翻訳で読む)。そこでこう発問する。「それぞれの国では,問題の扱い方が大きく違いますね。どこが違うのでしょうか」。学生はそれを聞いてグループワーク形式で違いを見つけ,各グループ発表する。で,「どうしてこのような差が生まれるのでしょうか,他の国ではどうでしょうか,同じ国でも論調の違いがあります,これはどうしてでしょうか」といった次の発問。

で,最終的に生徒のグループは,同じ社会問題における国ごと,新聞社ごとの記事の扱いを比較・整理して,何か抽象的なパターンや必然性を見つけ,それをプレゼンし合う。その後,プレゼン後に大いにディベートしてオープエンド。

 

みたいな。きっとこんな授業実践が目を引くはずだ。

 

そしてその時,これに反して一部の間で「生の英語力」,「オーセンティックな知識」,「個別言語への愛着」,「地のちから」といった言葉も流行っているはずだ。

 

きっとその時の生徒は,私達が「昔,新聞では冠詞が省略されたり,独自の時制や倒置の表現が多くて,一生懸命覚えたもんだったよ」といったら,今私達世代が上の世代から「昔はひたすら筆記体を書くことを授業でやらせていたもんじゃ」という話を聞いたときの,まさにその顔を今度は私達に向けるに違いない。

 

…なんて日が,本当にくるのか,こないのかwww