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草薙の研究ログ

英語教育関係。でも最近は統計(特にR)ネタが中心。

因果関係とアカウンタビリティ

厳密な意味での因果関係が不明でもアカウンタビリティは保たれているって場合はよくある。アカウンタビリティをどのように考えるかによるけども。

「過去,学生のうち,平均的に100時間学習した人たちの80%は70点を取った」

「過去,学生のうち,平均的に10時間しか学習していない人たちの80%は20点を切った」

といった情報,つまり,ある意味因果推論を放棄している,多変量上のセグメントをわかりやすく提示することだけ,とかの方がいい場合も多い。

ある意味,明瞭性や合意の得やすさがそのアカウンタビリティを担保しているから。大事な確率論的な関係には踏み込まなくても。

「脳科学的にいい」,「第二言語習得の最新の研究でよいとされている」というような文言よりも,教育従事者がもつ政策決定者に対するアカウンタビリティや,地域社会に対するアカウンタビリティ,教育を享受するものにたいするアカウンタビリティ,そして間接的に教育の利益に関わるものに対するアカウンタビリティが担保される場合もある。

そもそも厳密な意味での因果は「公共的には」よくわからないものだ,という世界で成り立っているのだとしたら(そしてそれはそうなのだけど),殊更,因果とアカウンタビリティを結びつけることはよくわからない。

インフォームド・コンセントを病理にもとめるか,疫学にもとめるか,臨床にもとめるかみたいな話にも通じる。

 

「脳科学的にいい」,「第二言語習得の最新の研究でよいとされている」というような文言が,ときにパターナリズムに聞こえるときもある。行き着く先は検証不可能領域で,検証不可能なレベルであればあるほどパターナリズムが発揮しやすくて,そして学術的なレベルで真顔になれば,異口同音に「観測限界と解析限界」で,そういうのは二枚舌だと思わないでもない。

 

まあ,結局は日頃の教育実践の手間がかかる部分もしっかりしようとかそういうことだ。