草薙の研究ログ

英語の先生をやってます。

1970年代における英語教育の科学化運動って?

日本の英語教育研究史にパーソナルな興味をもっています。英語教育研究史は,もちろん日本の英語史に等しい歴史をもっていそうですが,わたしは,そのなかでも,ごく最近の歴史,1970年以降(昭和40年以降)に注目しています。資料がほぼ完璧に現存し,さらに当事者にインタビューできるからです。

*自分の研究外の趣味として,趣味なりに資料を調べたり,先生方の話を聞いたりしていますが,まったく趣味のレベルを出ておりませんで,以下は完全に私見でもあり,ただのメモであり,自分の整理のためのものです。

 

1. 1970年代,45年前に起きた英語教育科学化の機運

さて,国内の主要な英語教育関係の学会は,1960~1970年代前後に発足しています。たとえば,

  1. 1961年,語学ラボラトリー学会(現外国語教育メディア学会,LET)
  2. 1967年,大学英語教育学会(JACET)
  3. 1975年,全国英語教育学会(ただし,すでに数ある学会を統廃合)
  4. 1976年,語学教育学会(JALT)

1970年頃は,わたしのような20代(わたしは1986年生まれ)には,いまだに信じられないことなのですが,「英語教育学」ということばが,いまほど一般的なものではなかったのです。私の愛書,『これからの英語教師』(若林, 1983)で若林先生は,こう書いています。

私は,いま,英語教育学を専門研究領域としている(と自称している)。これから英語教師になろうとしている人々や,英語教師になって数年という人たちには想像もできないことかもしれないが,いまから10年ぐらい前は,英語教育(学)が専門であるなどと言おうものなら,ほとんど99パーセントの英語教師たちからケゲンな顔をされたのである。「いや,あなたが英語教育に関心をもっておられることはわかりますが…」と言われたことが何回となくあった。「わかりますが,ほんとうのご専門は?」――「いや,私のほんとうの専門は英語教育なのですが,私の学部卒論はアメリカ演劇でありまして」――「ああ,文学ですか,なるほど」(p. 113,太字わたし)

 

この若林先生のお話は1983年にお書きなので,「いまから10年ぐらい前」に,なにがあったのでしょうか。

「科学としての英語教育学の樹立」という機運が1970年頃に高まった結果,上記のようなさまざまな学会が樹立されたのだと考えられています。むしろ,学問化という機運があったといってもよいのかもしれません。

くわしくは,寺沢先生の記事を参照ください。

英語教育学における「科学」の意味 - こにしき(言葉、日本社会、教育)

 

しかし,残念ながら,2015年現在,英語教育に関わる研究領域についての呼称の類は数多く,英語教育学ということばをもちいる研究者は一部の学閥を除くと,限られています。ただし,現在は英語教育学ということば自体はおいといて,そういう研究領域があることは,一般のひとにもだいぶ知られるようになったとおもいます。

 

2. 科学化なのに科学の定義が曖昧?

1970年代頃の日本の論文を読んでいますと,寺沢先生がおっしゃるように「科学」というスローガンが非常にたくさん使われており,先人の熱い情熱が非常に刺激になります。45年も前のことですから,もうお亡くなりになった先生もいらっしゃいますが,現在顧問や名誉会長職にいらっしゃるご高齢の先生がたがお若いとき,どんなことを考えていたが,なにに思いを馳せていたか,そして未来になにを期待していたか,というようなことを考えると,とても熱い気持ちになりますね。

さて,しかし,なのです。まさに寺沢先生がおっしゃるように,2015年の現在,一応は英語教育に関わる研究分野の末席を汚すわたしが,先人のおことばを読めば読むほど,合点がいかないところが多いのです。それは,科学化ということばにある,科学観についてなのです。どうもピンとこず,よくわからないのです。いったい先人たちのいう科学とはなんなのでしょうか。もう少しいうと,たしかにすべて科学的といえなくはないような話なのですが,論者たちはさまざまな側面を,それぞれてんでバラバラに論じているような感じもします。科学ということばが一義的ではないように使われていた,ともいえるでしょうか。

 

2.1 科学的方法(scientific method)のこと?

まず,わたしはすっかり,科学ということばですから,科学的方法(scientific method)のことだと思っていたのです。当たらずも遠からずなのですが,1970年代の科学は,具体的にこれだけにはとどまらないようなのです。わたしは,「適切な証拠にもとづく適切な推論過程とその体系性」というようなことだと思っていました。こういう内容のことをおっしゃるひとたちもいたのですが,当時は,方法の科学性(研究という過程への注目)に強い関心があるようではないのです。第一に「科学的方法」ということばがあまり出てきません。ただ,学問としての体系性や知見の関連性については,かなり重視する傾向が見られます。でも,やはり形式化された推論形式,仮説,理論,法則,原理といった一般的な科学的方法についての言及はほとんどありません。たとえば論文の形式などについても無頓着です。

Scientific method - Wikipedia, the free encyclopedia

 

2.2 実証主義・還元主義ペア?

そうでなければ,現在に続く,強烈な実証主義(positivism)と還元主義(reductionsm)のことだとおもっていました。極論すれば,実験計画法などに帰着するようなもの,または認知科学(cognitive science)のことだと。たとえば頭のなかの仕組みとかですね。しかし,実は,このような考えたかたは1970年代ではそれほど主流ではないようなのです。なので,1970年代から日本の英語教育は認知科学指向だというようなことはないでしょう。

むしろ,実証主義と還元主義は,1980年代後半,第二言語習得研究が輸入されてから,当時の若手(現在40-50代,特に留学をした研究者)を中心とした動きですね。このような考えかたは,2000年頃まで徐々に浸透していっており,現在の研究にも強くみられる傾向です。もちろん,2015年現在は,還元主義に対する批判も多くあり,全体主義的(holism)な仮説や理論も多く見られるようになってきています。複雑系創発主義も,ある程度全体主義の影響によるものでしょう。

 

2.3 経験主義のこと?

さて,はなしは戻ります。乱暴ですが実証主義だけならほぼ経験主義といいかえてもいいでしょう。経験科学や経験主義ということばは当時の言説にちらほら散見できます。たとえば,斎藤(1971)「英語教育学樹立の条件」は,「経験科学としての英語教育学」という節で,

 

普通にいう経験科学(empirical)としての英語教育学を樹立しようとすることは,経験理論(empirical-theory)の確立をその中心課題とする, ということであると思われる。 (p. 80)

 

と書いていらっしゃいます。しかし,同論文で(a)目的論・純粋理論の段階,(b)経験主義の段階,(c)技術化の段階という三段階構造を仮定し,経験科学が担う部分は英語教育学の一部だとしており,経験科学のみに特段拘泥するわけではないようです。むしろその限界なども言及されています。

 

2.4 自然科学的?

自然科学(natural science)ということばを好んで使うひとも確かにいたようです。つまり,自然科学の方法や推論のありかたをならおうとものです。自然科学は対象と自分を切り分けて考えます。鳥居(1974)「英語教育学の発展をはばむもの」では,英語教育学を推し進めるひとのなかでは,この考えかたが主流だと述べてらっしゃいます(p. 1)。(ほんとうでしょうか)

しかし,たとえば,鳥居(1974)のように,自然科学的,彼のいうサイエンスという要素に強い拒否反応を示している例もあります。彼は自由七科(liberal arts),科学(science),専門科(profession)の区別をとりあげ,英語教育学は,「これらのすべてを含むものである」と述べています(p. 3)。自然科学のように対象と自分は独立していないというような主張も見えます。

 

2.5 結局なんだったの:欲張りな方針

ひとことで結論をいえば,1970年代当初,「科学的」ということばのコンセンサスはまったくなく,ひたすら英語教育学樹立,つまり,どちらかといえば「学問化」のために,さまざまなひとびとがさまざまな背景のもと,「科学」という大きな,そして同時に不明瞭なことばの下に集ったのだとおもいます。科学というような具体的には捉えきれないようなことばのほうが,むしろよかったのかもしれません。

寺沢先生は,「メカニズムとしての基礎科学」と「意思決定のための政策科学」という区分が当時には(から)曖昧であったという旨をお書きですが,わたしは,それに完全に同意します。そのうえで,当時の科学とは,基礎科学と政策科学の両方の側面を「漠然と」含むものだった,と理解しています。区別がなかった,というよりは,当時の論客の,すくなくともその一部は,両方を積極的に取りいれようとしていたのだと。ただし,諸学会においても明確な方針などは得られず,結果として曖昧化し,現在に至ると考えています。

 

3. 背景は専門的教員養成の必要性?

科学化が主体というよりは,学問化の機運ですね。学問化は社会的な背景の影響を受けたものだとおもっています。たとえば,当時教員養成学科や教科教育科が各自の地方大学にできています。全国英語教育学会の前身の前身は,「教員養成大学・学部教官研究集会英語科教育部会」です。

また,当時の英語教育の担い手は,言語学や文学を学んだ方が大半であったそうです。つまり,高等教育における専門的な教員養成のために,独自の領域として学問化する必要性があったのだと理解しています。また,当時から言語学や文学出身教員の訳読授業などに対する批判も数多く,こうした背景を学問化の機運として訴える資料もあります。ちなみにそれに訴求力があったかはわかりません。

1970年代中盤では,英語教育学のカリキュラムや学問の構成論の試案がたくさん出ています。ただし,現在の一般的な,教員養成における英語教育学授業のカリキュラムなどはどのように設立したか,それが仮にあったとしてもわかりません。

 

4. 当時の先進研究って?

さて,同時の科学化運動のなかで,どのような研究が具体的に科学的とみなされたのでしょうか?

わたしは,変形文法LL関係の研究が当時の最先端のものとして受け入れられていたとおもいます。つまり,最新の言語理論と,最新のテクノロジーですね。

 

4.1 変形文法

変形文法は,当時の言語学科などで大流行だったといわれています。たとえば1970年代の『中部地区英語教育学会紀要』のなかで,もっとも論文数が多いのは変形文法関係です。当時の英語教員の担い手は,言語学や文学出身者ですから(現在もあまり変わりませんが),これも自然なことでしょう。今のわたしたちからみますと,中学校や高校の先生が,ひたすら統語構造をツリーで書いて,変形規則を持ちだして指導のあり方を論じますので,逆に新鮮に見えます。

もちろん,変形文法は1950年代から徐々に日本に輸入されていました。変形文法および生成文法の考えかたは経験科学的ともよばれますし,実証主義的といわれれば,もちろんそうも見えますが,むしろ手法としては合理主義的な面もあるところが面白いですね。もちろん,当時の北米の構造主義言語学・行動主義的心理学生成文法へ,という流れを徐々に輸入していた,という流れのまんまですね。

現在では,生成文法ベースの第二言語習得研究がある一方,生成文法から派生したような心理言語学的手法をもちいた研究手法も一般化していますね。生成文法自体は進化言語学や生物言語学などのほうにも発展していっています。

4.2 LL

LLのほうは,さきの大戦中に北米で,軍事目的のようなかたちで,全盛期の構造主義言語学・行動主義的心理学を背景として開発され,戦後,日本の経済復興とともに輸入されていったようです。LLA(語学ラボラトリー学会)がほかの学会の設立に先んじているのも,これが理由でしょう。

若手はまったく意外に思ってしまうのですが,当時のLL研究の担い手は,やはり言語学関係を学んだ方が多かったようです。主に構造主義言語学ですね。当時の日本におけるLL研究者の音声学ベースの実証研究は,まるでオーパーツかのように思えるときもあります。構造主義言語学における音声研究が進んでいたからでしょうか。

言語学をまなんだ方が奉職してLLを専門とする,という傾向は1990年代頃まで続いたとおもいます。1990年代前半には,もはや教育工学のようになり,自作のプログラムやハイパーメディア教材などについての研究がかなり見られるようになりました。「開発するひと」がどんどんでてきたのですね。さらに,第二言語習得やいわゆる関連諸科学との境目がわからない研究が増えていきます。そうした影響もあったのか,2000年にLLAはLETと変貌をとげ,視野も広くとるようになったようでしょう。

もちろん,現在はCALLやICTを専門とする若手が構造主義言語学をやっている,ということはかなり少ないとおもいますが,コーパス自然言語処理を学んだ若手がCALLやICTを研究しているという傾向は見られますね。

4.3 それから:80年代以降→第二言語習得研究の浸透

第二言語習得の実証研究が国内に見れるようになったのは,おそらくはやくとも80年代中間ころでしょう。それと同時か,それよりやや前に,実験計画法や基本的な心理統計の技術があらわれはじめます。おそらく,これは海外から輸入したというよりも,教育心理学や,工学などから移ってきた方法だと思います。または,1970年代よりもかなり前に輸入されていた心理言語学(当時はむしろ言語心理学)をまなぶひとが増えてきた影響なのでしょうか。

当時の言語心理学は,非常に難解で,欧米文献の訳本なども数多く出ていますが(私も集めましたが),一部の研究者のみが関心をもっていたとおもいます。

ただ,思想やアプローチとして強烈な実証主義や還元主義に傾倒していったのは,まさしく海外の第二言語習得研究ないし応用言語学の影響だとおもいます。これはおそらく90年代前後のことだとおもいます。実証主義や還元主義を推していったのは,当時の若手研究者でしょうが,もちろん,若手だけではないようです。2000年よりやや前から,海外の応用言語学のジャーナルに若い日本の研究者の論文がどんどん掲載されるようになりました。

もちろん、今は過度な基礎的研究指向や量的研究への依存、強いパブリケーションプレッシャーをもつ風潮などに、批判的な考察を与える方もいますね。

 

今日はここまで。