草薙の研究ログ

英語の先生をやってます。

マルチレベルのROC曲線

状況

  • 信号検出モデルのおはなし
  • ある信号の有無について多段階評定法(5段階)でデータを取る
  • 横軸にFA(率),縦軸にH(率)を描くとこうなる(ROC曲線)

f:id:kusanagik:20181121155648p:plain

  • このデータを100人について取るとする
  • もちろん,この曲線にも個人差がある

f:id:kusanagik:20181121155958p:plain

  • ところで,FA率,H率をz変換するとおよそ(大雑把にいって)線形回帰で近似できる
  • この線形回帰モデルの傾きが1に等しくなければ,等分散ガウス信号検出モデルの等分散の仮定が怪しい,そういう理屈

f:id:kusanagik:20181121160447p:plain

  • で,これを戻すとまあまあROC曲線に近似するというわけだ

f:id:kusanagik:20181121160728p:plain

  • しかし,これはあくまでもひとりのデータであって,これが100人分ある,と考えよう

ベイズでやろう

  • これは普通に変換したFA率を説明変数,変換したH率を応答変数,個人を変量効果と考えた線形混合効果モデルに帰着する
  • つまり,集団平均の傾きと切片があり,集団内の傾きと切片の分散共分散行列があると考える
  • Rのbrmsパッケージとかでちゃっちゃとやっちゃう

事後分布を見る

  • 基本的に,一番の興味はFAの傾きの母平均
  • ベイズ信用区間からみて,普通に1はなさそうだ(ベイズ因子とかやってもいいけど…)
  • なので,集団平均として見ると,等分散性は怪しそうだ

f:id:kusanagik:20181121161639p:plain

f:id:kusanagik:20181121161836p:plain

  • 0.04から0.20を考えればいいくらいみたいだ

集団平均と個々人の推定値からROC曲線を描いてみる

  • それぞれEAPを使って曲線を描くといいわけだ
  • こんな感じ

f:id:kusanagik:20181121162226p:plain

  • 弁別力が負に入るひともいるし,大体集団平均として等分散はないな,ってことがわかる
  • 次にここから正答率を計算できるわけだけど…って,まあいいや

時代の流れに取り残されていくかんじ

今私がこれを打っているPCは,中古どころかジャンク品として買った2000円のデスクトップPCだ。RAMは1GB,CPUはCore 2 Duo,HDDは欠品だった。今型番を調べたら2004年製だという。前にどこで誰がどのように使っていたかもわからないこのPC。誰も買わないのだろうな,と思うと意味もなくこういうのを買ってしまう。14年前か。自分は大学生だったな,なんておじさんは昔に思いを馳せる。このPCを見るときに,14年前のPC産業というか日本の経済を思い出せる。

最近は本当になんでも安くなってきていて,メモリーは1,000円台も払えばバルク品でも問題なく増設できるし,SSDだって中国系企業の新製品はびっくりするくらいの値段と品質。なんていうか市場の大きさは正義だ。AmazonよりもAliExpressのほうが物欲をそそるのも事実。

ストレージなんてむしろ16GBで十分だなんて思ってたら,そういうSSDは市場に出回っていない。しかたなく64GB SSDを2,000円台で買った。Wifiドングルは1,000円台。全部で8,000円もあれば,私に必要な環境なんて整ってしまう。4GBのRAM,64GBのストレージ,Core 2 Duo程度のCPU。これは,今ARM系のCPUを積んでeMMCをストレージにしている低価格モバイルノートと同じくらいの性能になる。そういうのがだいたい3-4万だから,とっても格安だ。なによりも部品を集めたり入れ替えたりするのが楽しい。

そういう非力でもう現役を引退している,いわゆるジャンクPCに軽量デスクトップ環境をいれるのが馬鹿みたいに好きだ。もう「押し寄せるパターナリズム」のようなアップデートの通知におじさんはため息をつきたくない。

アップデートといえば,10月のUbuntu系のアップデート。私はLubuntu愛好者なのでLubuntuのアップデートをチェックしたら,なんと噂通りLubuntuはLXDE環境を捨てるのだそう。LXQtに全面的に移行する方針のようだ。

これにはまいった。というか,別にLXQtがLXDEよりも遥かに重いとかそういうことではなくて,LXDEを愛した時代はもう終わっていくんだな,という感傷。デスクトップ環境が変わる,というのはいつでもつらい。自分はそういうのにもう適応していけそうにない。かつてUbuntuのデフォルトデスクトップ環境であったGNOMEがUnityに変わったとき,なら俺はもうUnityを触らない,と決めてLXDEにした。UbuntuのUnityはいつのまにかGNOMEに戻ってたけど,もう俺が知っていたGNOMEではないようだった。

なんていうか,こういう移り変わりの激しいものにその場その場でいいようにうまく適応していくような器量は自分にはない。Lubuntuの18.04はLTSで2021年までサポートだから,俺はそれまで18.04を使おうかと思う。なんならサポート切れてもLXDEでいきたい。

なんでもそうだ。時代が変わっていくのに,自分はそれに適応していけない。いつまでもここで足踏みをするだけなんだな,なんて。それでも,それでも,14年前のPCはこうして動いているのを見る。

狭いベゼルなんてすごく気持ち悪い。曲面ディスプレイはもっと気持ち悪い。目の前にデスクトップPCがあり,ネットに繋がっているのにスマートフォンを触るひとが気持ち悪い。フリップ入力とかいう技術が気持ち悪い。

そうやって,自分のほうが気持ち悪いおっさんになっていくんだな。

…などと思ったLubuntu 18.10だった。

 

 

分散分析結果の可視化例

よく指導法の効果の検証っていうような目的でこんなグラフを見る。

f:id:kusanagik:20181015152256p:plain

これ,カーネルとか使ってこんな感じでいいじゃない?
名前なんていうかわからんけど。
これパッケージにしたら需要あるんだろうか?
流行ったらいいな。

f:id:kusanagik:20181015160334p:plain


または,これでもいいな。

f:id:kusanagik:20181015162253p:plain

library(ks)

group<-c(rep("A",40),rep("B",40))
set.seed(1)
pre<-round(c(rnorm(40,50,8),rnorm(40,50,8)),0)
post<-round(c(rnorm(40,50,8),rnorm(40,80,8)),0)
delayed<-round(c(rnorm(40,40,8),rnorm(40,70,8)),0)
dat<-data.frame(group,pre,post,delayed)


#繰り返しとかめんどくなってしまったからクソ汚い
k.pre.a<-kde(dat[dat[,1]=="A",2])
k.post.a<-kde(dat[dat[,1]=="A",3])
k.delayed.a<-kde(dat[dat[,1]=="A",4])
k.pre.b<-kde(dat[dat[,1]=="B",2])
k.post.b<-kde(dat[dat[,1]=="B",3])
k.delayed.b<-kde(dat[dat[,1]=="B",4])
m.a<-apply(dat[dat[,1]=="A",-1],2,mean)
m.b<-apply(dat[dat[,1]=="B",-1],2,mean)

plot(0,
	xlim=c(0,100),
	ylim=c(0.4,3.4),
	axes=F,
	type="n",
	xlab="Score",
	ylab="Time")
axis(2,1:3,
	c("Delayed","Post","Pre"))
axis(1)
abline(h=1:3,
	lty=2)
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.pre.a)+3,
	col="lightblue")
polygon(seq(0,100,.1),
	-7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.pre.b)+3,
	col="orange")
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.post.a)+2,
	col="lightblue")
polygon(seq(0,100,.1),
	-7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.post.b)+2,
	col="orange")
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.delayed.a)+1,
	col="lightblue")
polygon(seq(0,100,.1),
	-7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.delayed.b)+1,
	col="orange")
legend("bottomleft",
	legend=c("Control","Treatment"),
	pch=20,
	col=c("lightblue","orange"),
	box.lty=0)
lines(m.a,c(3.05,2.05,1.05),
	type="b",
	lty=2,
	pch=20)
lines(m.b,c(3-.05,2-.05,1-.05),
	type="b",
	lty=2,
	pch=20)

plot(0,
	xlim=c(0,100),
	ylim=c(0.4,3.4),
	axes=F,
	type="n",
	xlab="Score",
	ylab="Time")
axis(2,1:3,
	c("Delayed","Post","Pre"))
axis(1)
abline(h=1:3,
	lty=2)
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.pre.a)+3,
	col=rgb(0,0,1,alpha=.2))
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.pre.b)+3,
	col=rgb(1,1,0,alpha=.2))
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.post.a)+2,
	col=rgb(0,0,1,alpha=.2))
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.post.b)+2,
	col=rgb(1,1,0,alpha=.2))
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.delayed.a)+1,
	col=rgb(0,0,1,alpha=.2))
polygon(seq(0,100,.1),
	7*dkde(seq(0,100,.1),
	k.delayed.b)+1,
	col=rgb(1,1,0,alpha=.2))
legend("bottomleft",
	legend=c("Control","Treatment"),
	pch=20,
	col=c(rgb(0,0,1,alpha=.2),rgb(1,1,0,alpha=.2)),
	box.lty=0,
	bg="gray98")
lines(m.a,
	c(3,2,1),
	type="b",
	lty=2,
	pch=20)
lines(m.b,
	c(3,2,1),
	type="b",
	lty=2,
	pch=20)

数式の中でイタリックにするものしないもの

いつもながら自分は大変に不勉強なもので,だいぶ恥をかき続けてしまっていた。
要は,数式の中でこういう表記をするのはあまりよくないって話。


logit(p_i) = ln(\frac{p_i}{1-p_i})


これだと流石に自分程度でもかなり格好悪いのがわかる。
…こうじゃなくてはならない。


{\rm logit}(p_i) = {\rm ln}(\frac{p_i}{1-p_i})


そうだな,expとかlnとかlogitは数式の中で直立体でないとダメだなあと理解できる。
変数lと変数nが仮にあったとしたら,lnこれらの変数の積のように読めてしまう
しかし,これだとどうだろう?自分はなんか全然悪くない気がしてしまう。
それに実際自分でこう書いてしまっている論文なども多い。


c=-\frac{1}{2} \{z(HR)+ z(FAR)\}


調べたら,信号検出理論の教科書などでは,こうイタリックで書いているものもある。
見慣れてしまっているから,なんか許せてしまうけど,確かに,HRHRの積かもしれない。
慣習はおいておいて,直立体にすべきだと思った。


c=-\frac{1}{2} \{z(\rm HR)+ z(\rm FAR)\}


最近多いのは,ベイズの事前分布とかで,


\beta_j \sim Normal(0, 1000)


みたいな。だいぶ自分もやってしまっている。
これも,やっぱりこうするべき。


\beta_j \sim {\rm Normal}(0, 1000)


国内外問わず,結構イタになっている例もあるし,最悪著者が論文内で一貫していないのもあるんだけど,気をつけたいものだ。
でもこれ,こう書いたらイタなんだよな。


\beta_j \sim N(0, 1000)


添字も同じことがあるよね。


CV_{RT}=\frac{\sigma_{RT}}{\mu_{RT}}


は,


CV_{\rm RT}=\frac{\sigma_{\rm RT}}{\mu_{\rm RT}}


って書いて,あれ,CVはイタでいいのか,みたいな話になる。微妙だ。
微妙っていえば,微分で出てくるdも本来は直立体なんだけど,慣習的にイタリックになっているそう。


\frac{dN}{dt}=-\lambda N


みたいに。でもちょっと調べたら直立体もあった。


\frac{{\rm d}N}{{\rm d}t}=-\lambda N



うむ。よくよく気をつけたいものだ。慣習っていうのもあるのだろうし,ま,それよりも数式の中身が重要だ,っていうひともいるだろうけど。
なんといっても,TeXで打つときに,\rmをめんどくさがったらダメってはなしだな。

Ducky Miniのキー設定

Ducky Mini可愛いぞう

台湾のメーカー,Ducky Channelさんは2015年くらいから,日本のアーキサイトさんを通じてマウスやキーボードを販売している。

Duckyといえば,Ducky miniというコンパクトキーボード。アルミボディーにCherryMXスイッチを使った人気のあるキーボード。

ずっと興味をもっていたのだけど,最近Amazonで安く手に入るようになったみたいなので買ってしまった。スイッチは黒軸にした。

www.archisite.co.jp

 

ううむ。可愛いぞう。こいつ。

初期設定

もう自分用のメモでしかないんだけど,日頃,大抵の場合はHHKBを使っているので,できるだけそれに近いキー配列にしたい。たとえば私の場合,

  • CtrlキーはAの左で絶対になければならない
  • Fnキーは一番右下でなければならない

という制約がある。

でも,これキーボード側で設定できるし,交換用のキーキャップついてたから,自分の好きにしていいみたい。

設定は,

  • Fn+Alt+H三秒押し→CapsLock→3でCapsLockとCtrlを入れ替え
  • Fn+Alt+H三秒押し→Fn→2→L_Ctrlで右下をFnに入れ替え

という感じでよかった。

その他

  • Ducky Miniは,Fn + WASDでWASD移動のようにマウスカーソルを移動させられる。これちょっと便利ね。QとEでマウスの左クリックと右クリック。
  • いわゆる矢印キーはないので,Fn + OKL;なんだけど,これちょっとなれない。HHKBにように,Fn + [;'/にしたい。ま,でもいいか。
  • バックライトはいろいろモードとか色合いとか強さを設定できるけど,ま,どうでもいい。Fn + Alt + Gでモードを切り替えられる。

 

 

 

 

構成概念について自分が考えること(2):構成概念のコードと解釈者

前回まで

  • 構成概念を記号として捉えてみる
  • パースの記号論を援用して,構成概念の解釈を記号過程と捉える
  • 記号過程の中で,それぞれが別個の記号でもある心,行動,測定という要素を複雑に媒介していくことで構成概念に解釈が与えられる
  • この観点の下で,構成概念の解釈はおよそ7種類に分類される(という試案)

 

今回

概要

  • 記号としての構成概念について考えるためにコードという見方を取り入れる
  • 記号としての構成概念の解釈者の存在を考える

3. 構成概念のコードと解釈者

3.1 解釈の不一致

まずは,以下のことに着目してみる。

  • 心理測定の議論では,少なくとも,測定手続きを介さない構成概念のあり方について議論されることはない
  • いわゆる行動主義による分野では,少なくとも,行動を介さない構成概念のあり方について議論されることはない
  • いわゆる心理主義による分野では,少なくとも,心を介さない構成概念のあり方について議論されることはない

それぞれの態度についての議論は置いておくにしても,記号としての構成概念にはさまざまな解釈が与えられ,分野やひとによって異なるだろう,ということだ。

構成概念の解釈が研究者間で一貫しない,というのは,今に限ったことではなく,昔かからいつでも議論されてきたことだ。とてもおおげさにいえば,共約不可能だとか,パラダイムの違いとかそんな感じになるし,おおげさにいわなくても,構成概念の氾濫とか術語の氾濫とかそんな感じ。

 

3.2 コミュニケーション過程?

ここでちょっと違う枠組みだけど,コミュニケーション過程というのを考えてみる。おおざっぱにシャノンの情報理論によれば…

  • 情報の送り手と受け手がある(それぞれをチャンネルという)
  • 送り手が情報を受け手に伝えたいとき,情報を信号に加工する(これをコード化という)
  • 信号は,情報それ自体ではない
  • 受け手は,もとの情報が復元するように受け取った信号を加工する(これを解読という)
  • この過程をコミュニケーション過程という
  • 送り手がもっていた情報と受け手がもっていた情報が同じであれば,コミュニケーションが成立したという
  • コミュニケーションが成立されるためには,コード化と解読が成立するような,送り手と受け手に共通するコードがなければならない
  • かなりおおざっぱにいってしまえば,ソシュールにおける記号論では,記号表記が信号,記号内容が情報に相当する。ここでのコードは,ソシュールラングに相当する。
  • かなりおおざっぱにいってしまえば,パースにおける記号論では,記号が信号,対象が情報で,コード,コード化,解読などは全部解釈項に入る
  • もちろん,このコードという見方にも批判はある

研究者同士が議論するとき,2つのチャンネルがあるとして,ある構成概念「動機づけ」に関する記号過程,たとえば心,行動,測定手続きの複雑な関係は,一種の情報である。送り手がもつ情報は,言語的な表記,または音声としての動機づけという信号(視覚的または聴覚的な)にコード化されて,受け手が信号を得る。受け手は信号を解読し,送り手がもっていた情報を復元すると,コミュニケーション成立。めでたしめでたし。

このときのコードは,そりゃおおざっぱにいえば,辞書的な意味での術語の定義みたいなものなのだろうけど(最初の解釈),上記の7パターンに分類されるような記号としての構成概念について,いつも,めでたくコミュニケーション成立するわけではない。

心理学やそれに類する分野(外国語教育もそれに含まれるとして)で,研究者同士が隣り合い,そしてなにかの構成概念について誰かが口にしたなら,かならずこのような会話がなされる。いずれも,今年のうちに居酒屋で聞いた実例。

  • 「で,そのバーンアウトっていうのはそもそも存在するの?」(心,その実在に関する質問)
  • 「動機づけが高いと,具体的にこれくらい勉強します,こんな感じで勉強をしますっていわれなきゃなんもわかんないよ」(行動の傾向性に関するコメント)
  • 「知りたいのは要はその測り方なのよ。もしも測り方が定まらないなら,そんなものは怪しい」(測定手続きに関するコメント)

ある構成概念について誰かが論じたとき,それに対する素朴なコメントがこの三種に分類されると気づいたのが,そもそもこの考え方の着想の由来。

聞き返すというのは,おそらく受け手がもっている記号としての構成概念の要素のどれか(心,行動,測定)を満たしておらず,その要素について補完しようとしているからだと思う。コミュニケーションは成立されなければならない。

ひとによって異なる心,行動,測定の組み合わせによる7種は,おおざっぱにコードといわれるもののようなもんだ。つまり,構成概念にはコードがある

概念が独り歩きするというようなよく聞く研究上のことばも,このコードが共有されていない度合いのことじゃないかな。

3.3 記号の解釈者

記号としての構成概念には,かならず解釈者(聞き手)が必要だってこと。たとえば,ある研究者が心,行動,そして測定手続きを介して構成概念を表すとき,その解釈者が心を介さない構成概念のコードをもっていたら,心の側面は解読されない。同じように行動を介さないのなら,行動の側面は無意味になる。そしてもっとも多いのが測定手続きが解読されないことだろう。

逆もあり得る。解釈者が心,行動,測定手続きの3セットによって解読するとき,この3つが得られなければ不完全であると捉えて聞き返すかもしれないし,補完するかもしれない。

 

今日はここまで。

 

 

 

構成概念について自分が考えること(1):記号としての構成概念

概要

  • 構成概念を記号として捉えてみる
  • パースの記号論を援用して,構成概念の解釈を記号過程と捉える
  • 記号過程の中で,それぞれが別個の記号でもある心,行動,測定という要素を複雑に媒介していくことで構成概念に解釈が与えられる
  • この観点の下で,構成概念の解釈はおよそ7種類に分類される(という試案)

背景

構成概念(construct)とはなにか,というものについて考えない日はない。というか,より具体的に,「構成概念に関する考え方が,著しくひとによって異なること」に対して興味がある。思考や勉強を垂れ流しのままにしていてももったいないので,勉強したり思ったりしたことをメモしていくことにする。

記号論的に構成概念を見てみる

1. もっとも広い意味での構成概念の見方

  • 構成概念ってぶっちゃけ記号である

構成概念について思索を始めるときは,常にここからスタートすることにした。ここが絶対的なスタート地点であることはもう疑わない。

  • 記号は,なにかの代わりをするあらゆるもの
1.1 ソシュール記号論

ここではあまり使わないけど,構成概念を語るテキスト(論文や本)の中で,構造主義的な見方をするのに役立つと思って。

1.2 パースの記号論
  • 記号,対象,解釈項の三項
  • それぞれ一次性,二次性,三次性に対応する
  • 解釈項はまた記号になり,別の記号との関係が発生し…という記号過程

構成概念を記号過程という観点から捉えるというアイデアを思索の中心にする。

  • 記号と対象の関係性には,類似性,因果性,規約性がある
  • それぞれ,アイコン,インデックス,シンボルと対応する

特に術語としての特徴に注目を当てるとき,構成概念は,他のあらゆる言語表現と同じで,基本的に恣意的で,規約的で,そして慣習的なのでシンボルでもある。りんごという発音と果物としてのりんごの関係は,なんら必然的な関係はなく,そう決められただけのことであって,知性という発音とその対象の関係もそうに違いない。

これを,個人的に最初の解釈ということにした。つまり,なんかをとにかくそう呼ぶことにしている,というお約束。これももう疑わなくていいと思っている。

しかしこれで終わりでない。記号過程は続いていく。

1.3 それ以降の解釈に関係するだろうこと

記号過程の中で,具体的に以下の3つの要素(これらもある意味記号である)の組み合わせを媒介することによって,構成概念にさまざまな解釈が与えられているとひとまず考える。

  • 物理的外延をもたない実体=心
  • 行動
  • 測定手続き

これらを最低でもひとつ含む組み合わせは以下の通りで7つ。

 

  行動 測定手続き
1    
2  
3  
4
5    
6  
7    

 

こんな感じ。なので,とりあえずこの(未熟な)考えの上で,記号としての構成概念は7種類に分ける,としよう。

  • ここでのは,デカルト的な意味で,まったく物理的外延をもたないもの。物理的外延をもたないので,ときに時間と独立したり,空間と独立した働きをしたりする。しばしば私は,ライルのことばを借りてゴーストと呼ぶ。
  • ここでの行動は,人の一般的な行動のこと。行動はもちろん記号でもあるし,モリスのように,記号というものの基礎づけに行動を置く場合もある。しばしば私は,文脈によって観測と行動を同じ意味でつかう。
  • ここでの測定手続きは,質問紙をやったり,それになんらかの測定モデルを適用したりすること全体。測定はかならず行動を伴うが,ここでは奇妙なことに,測定手続きに含まれる行動のみに限定する。そしておおざっぱにも,データやモデルも全部含めてしまう。

ここが自分の考えに独自性があるところだと考えているけど,心理統計やテスティングでは,当然ながら,この測定手続きを考慮しない議論は存在しなかった。ほとんどの場合,構成概念は,観測変数と潜在変数の論理的ないし数理的関係とその実装を中心に語られてきた。しかし,応用分野になればなるほど,自分にとっても盲点だったが,測定手続きと完全に独立した構成概念はあり得るし,いわゆる心の実在や因果関係に関する認識は変わってきて自然。つまり,構成概念という記号にも,コードというようなものがあるだろう,ということ。

2. 7種類の構成概念の解釈

2.1 心のみ
  • 行動と測定手続きをまったく介せずに心を直接的に参照する

記号は,なにも物理的外延をもたないものもその対象にすることができる。ユニコーンのように。

これを悪しき二元論だとか,安易な実在論だ,と決めつけるのは慎重であるべき。経験とまったく独立した記号は存在しない。その経験というのが,おそらくひとの話を聞いたり,本や論文で読んだり,そして自分の主観であったりということだ。これが成立するかはわからないが(厳密な意味ではしないと思うが),たとえば,「動機づけ」は,観察されうる行動の頻度や持続長などと関係なしに,そして質問項目や因子モデルなどとも独立した意味をもつ。

それが関係する行動も測り方も知らないけど,このことばを使う,みたいな場合。これを心やゴーストと呼ぶかもまた難しいけど。

2.2 心と行動
  • 測定手続きを介しない,心と行動の関係

この態度は,一般的にアブダクションと呼ばれる論理にもとづいていて,場合によってはそれが間違いであるとか,循環に陥るという批判を受ける。

アブダクションは,論理A→Bと結論Bから,前提Aを導く。なにかがなにかを動かすという論理があって,なにかが動いているのだから,それを動かしているのもあるはずだ,というような考え方。ペラペラとよく英語をしゃべるのだから,またはしゃべらない人がいるのだから,その原因となる熟達度というのがあるはずだ,というに考える。

関係というのも一筋縄にいかない。類似関係と因果関係のふたつはあると思う。いわゆる,「行動は心を映し出す鏡」,つまり行動は心と並行しているであるとか,少なくとも性質的によく似ている,というようなものだ。この場合,記号としての構成概念はアイコンに分類されるはず。

もう一方,因果関係は,いわゆる機械の中の幽霊だ。心と身体が別々にあって,心は物理的ではないのに,なぜか物理的な身体に影響を及ぼすというあの超自然的な考え方。

機械の中の幽霊批判は人間の尊厳を傷つけるという方がいるので,この話をするときはできるだけ穏健なヴァージョンを用意してそれを使う。それはドラクエ的世界観だ。ドラクエではゲーム中,メニュー画面を開くと,キャラクターのパラメータが見えるんだ。ちからが8で,かしこさが7というような。で,実際に,おそらくこのドラクエの世界の中からは直接的にアクセスできないこのパラメータが,ドラクエの世界の中におけるできごとの本当の原因となっている。しかも,超簡単な数式で。たとえば,スライムにこのキャラが攻撃をしかけるとき(これは行動であり記号でもある),スライムがくらうダメージは,ダメージ = キャラのちから + 武器の性能 - スライムのぼうぎょ,みたいになっている。熟達度が英語使用の原因だというのとおなじで,ちからはダメージの原因だ。

ここでは,あくまでも測定手続きが関係ないことに注意。つまり,ある意味運命などもそうだ。運命という目には見えない,おそらく物理的外延をもたないものが,行動を支配していて,そして運命を測定しようとはしない。

2.3 心と測定手続き
  • 行動を介しない,心と測定手続きの関係

この態度が成立するかも難しいのだけど,こう理解したらよいかも。たとえば,まったく将来の行動を予測しない心理測定。動機づけは,この質問紙とこの因子モデルによって測定できる(ここでは大雑把な意味)のだけど,動機づけは,日常的な,または測定以降の行動の頻度や持続長などとは関係ない。

つまり,測定手続きに関わる行動のみの原因となっている。…そんなものやっぱないかなぁ。この組み合わせを廃止しようかな。

ただ,いいたいこととしては,なんら実際の行動などを顧みない,その関係性を考慮しないクソみたいな操作主義に相当するイメージ。

2.4 心と行動と測定手続き
  • 心,行動,測定手続きの三者関係

 

おそらく,これがもっとも多数のひとにとっての構成概念。心,行動,測定手続きは互いに関連付けられていて,構成概念という記号が示す対象は,これらの複雑な関係だということ。

典型的な場合,こんな関係だ。

  • 熟達度はある種の行動の原因となっている(熟達度が高ければペラペラ)
  • 熟達度は測定手続きに含まれる行動の原因にもなっている(熟達度が高ければテストのスコアが高い)
  • なので,(アブダクション的に)テストのスコアが高いのならば熟達度が高いと見積もるのがもっともらしい(合計得点をもとめ,個人に割り当てる)
  • テストのスコアが高いひとは熟達度が高いとみなせる

このような仮定や推論が構成概念という記号をなす,と考える。

この態度やこれとは異なる関係性についてはあとで詳しく考える。記号としては,インデックス的な性質が強い。

ドラクエ的世界観だとこんなかんじだ。ちから(心)は,ダメージの原因になっているのだから,ぼうぎょがおなじスライムに,おなじ武器を装備させてダメージを測ったら,ちからが間接的にわかるだろう。つまり,メニュー画面を開かなくても,ドラクエの中からちからがわかるだろう,と。

2.5 行動のみ
  • 心と測定手続きを介さない行動それ自身

ここからは心を介さない構成概念。

心を介さない構成概念の見方も非常に根強い。古くいえば,エピクロスとかルクレティウスとか…20世紀に飛んでライルとか,論理実証主義のカルナップ,記号論ではモリス,もちろんいうまでもなくスキナーとか,最近だとラクリンとか,面々たる系譜が繰り返し繰り返しいってるような態度。「心は行動の原因でもないし,けっして説明にもならない」という。

術語としては行動の傾向性などともいうそうだ。ここでの態度は,熟達度は,(将来的に)ペラペラ喋ったり,英字新聞を読めたりするような行動のカテゴリーそれ自体である,といった感じ。

ただ,具体的な測定手続きは考えない。

2.6 行動と測定手続き
心を介さない,行動と測定手続きの関係

もちろん,場合やものによるのだけど,私が一番構成概念として解釈するのはこれのこと。行動と測定手続きの関係は,全体部分関係にある。心理統計だと,潜在変数の非因果的解釈などともいわれるよう。たとえば詳しくは後述するけど,ある行動のカテゴリーからその一部分に当たる行動をサンプリングして測定手続きに使っていると考えわけ。因果関係はここにない。

つまり,行動の傾向性を表す指標を取っていること。もちろん,記号としてインデックス的だ。

2.7 測定手続きのみ
  • 心と行動を介さない,測定手続き

この態度は奇妙なことに成立しそうだ。たとえば,熟達度とはTOEICのスコアそれ自体を,ほかの心や行動とは何の関係もなく示しているというもの。心なしで,そして測定が行動の予測力をもたない,といったパターン。

2.8 まとめ

というわけで,記号としての構成概念に着目して,構成概念は7種類に分けられるんじゃないかと妄想した,という記事でした。まだまだ続くけど今日はここまで。